MUZ TALK

英語を通して選択肢を最大化する

MUZ(マズ)のプロフィール

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こんにちは!

プロフィールページをご覧いただきありがとうございます。

このブログ「TESOL Teacher MUZ TALK」を運営している、MUZ(マズ)です!

収益源を広げることと、自分自身に価値を付けて売ることを決意し、ブログ運営をしています。

 

自己紹介(ダイジェスト)

三度の飯よりもうどんを愛する、うどん県出身の男児。(体柔らかい)

秋田県にある国際教養大学(通称:AIU)に入学し、英語漬けの生活が始まる。交換留学でノルウェーのベルゲンに1年間住んでいました。

新卒で入ったアパレル会社で店長をやってましたが、3年半働いて適応障害の診断を受け、休職。四国88箇所巡礼(歩き遍路)に出かけて、無事結願(一周して帰ってくる)して退職。

そのあとは家庭教師や塾講師をしながらお金を貯めて、2016年6月から1年間オーストラリアへワーキングホリデーに行っていました。主にブリスベンとケアンズに滞在。クイーンズランド州立大学で学んだ英語教授法がまさにコレ!って感じだったので大学院進学を決意。ワーホリ中は、知人の家でホームステイして可愛い双子ちゃんの面倒見たり、車で旅に出かけたり、ダイビングボートで働いたりしてました。

今年の9月から秋田県にある僕の母校、国際教養大学(通称AIU)の専門職大学院・英語教育実践領域(ELT)へ入学します。

今後は、大学院で英語教授法(TESOL)の研究をしながら、ブログやYouTubeで情報発信と収益化、そして研究の成果をセミナーやワークショップなどでお伝えしていきたいと思っています。

 

この辺りにビビっときたら絶対仲良くなれますヽ(´ー`)ノ

趣味
カラオケ・スノーボード・料理・旅行・野球・スクーバダイビング・ドライブ・ブログ・映画・書道・印象派・写真・ウクレレ・ピアノ

音楽
スキマスイッチ・Mr.Children・ゴスペラーズ・ゲームや映画の音楽

ゲーム
メタルギアソリッド・FF9&13・ゼルダの伝説・スプラトゥーン・マリカー

その他
留学・英語・言語学習・台湾・オーストラリア・スペイン・建築・Apple製品・YouTube・ニコニコ動画・文房具

 

この記事ではこのあと、かなり詳しい僕のプロフィールを書いていきます。

ちょっと長いですがお付き合いくださいませ(・ω・)



サラリーマン家庭の長男

1987年5月21日生まれ。O型。出身は香川県(うどん県)の観音寺市。
世界に一つしかない、寛永通宝の砂絵があります。


香川県観音寺市のHPより(https://www.city.kanonji.kagawa.jp/soshiki/21/333.html

 

父、母、祖母、妹、弟の6人家族ですくすく育ってきました。
父は昔ながらの気風で正に一家の大黒柱的存在。
母は物知りで、クイズ番組とか観てるとバンバン即答する。
ばあちゃんは天然で明るくていつも元気でした。
妹はしっかり者で面倒見が良い。
弟は社交性抜群で、友達めっちゃ多い世渡り上手。地元の祭りをこよなく愛す。

んで、長男として生まれた僕といえば、一番の変わり者で、好奇心旺盛な感じ。熱しやすく冷めやすい、器用貧乏。大抵のことはサクッと人よりできてしまうので多彩な反面、大成しないw

個性豊かな家族ですが、ライングループがあるほどの仲良しでもあります。

なんかあると庭でバーベキューしてます。(・ω・)

 

生い立ちと学生時代

幼少期

オムツのCMに応募しよう!と勘違いするほどの可愛さ溢れる男の子だったらしく、長男ということもあって厳しくも、とても大切に育ててもらいました。

小さい頃から水泳とピアノをやっていて、身体能力と芸術的センスはここで磨かれたような気がします。(自分で言うなw)

 

小学生の頃 やりたい放題

目立ちたがり屋で、学級委員長とかそういうのやりたがり。仕切り屋。

小学生の分際で、「学校行きたくない。なんで義務教育なん?」とか発言する生意気なヤツでした。

習い事は週5日の多忙な日々w
月曜  ピアノ
火曜
水曜  水泳
木曜
金曜  習字
土、日 ソフトボール

やりたいことはどんどんやらせてくれる両親でした。ものすごく感謝してます。引き出しの多さはワールドクラス(言い過ぎ(・ω・)←)

テストはほとんど満点とってくる。ソフトボールはピッチャーで、大会優勝経験あり。校内のマラソン大会もずっと上位。水泳も背泳ぎで県大会入賞。硬筆で市役所に展示されるとか、作文で賞をとって市民会館で朗読したり。なんか割と成果残してます。(一番輝いていた時期w)

ただ、悪いこともいっぱいして先生に呼び出しされたり、友達の家に親と謝りに行ったことも「何度か」あります。

学校の壁にチョークで落書きした時とか、理科室のマッチを勝手に使って火遊びした時はクソミソに怒られました。

 

面白いことには興味を持ってやってみたい!ってどんどんやっていくタイプだったんですねねー。これは今でも僕の軸になっています。

ただ、「親や先生の言うこと聞いて真面目にやってれば怒られないし褒められる」ってことを覚えてしまった時期でもありました。

 

 

中学生の頃 THE 思春期

中学に入ってからは、松坂大輔に憧れて野球一筋。バットは松井秀喜モデル。

エースで4番も務めたことがあるくらい頑張ってて、最高成績は県大会ベスト4。

ただ、盛大に思春期に突入して、自分を出したいけど周りの評価が極端に気になる感じで立ち位置が中途半端な自分を発揮。

勉強もある程度頑張ってて、基本成績は上位。勉強で特に苦労した経験はないけど、テスト期間でも勉強しないので、母親がテスト前になると問題を出してくれたりよく付き合ってくれた。ほんまありがと。

当時、ハモネプっていうのが流行っててボイパに憧れて練習してました。「口からぷすぷす言うて何しとん」っておばあちゃんに怪訝な顔されたのが印象的。

 

高校生の頃 人生の転機1

地元の進学校に進学して、野球部に入部。

上手くいかなくなったので、面白く無くなって野球やる意味とか考え始める。のちに練習に行かなくなって、1年の夏休みには逃げるように退部。

初めて挫折のようなものを味わう。(ある意味自滅。乗り越えてはいない。)

この頃から、何か上手くいかなくなると考えすぎて、最後には思考停止に陥って何も手につかなくなる病が始まる。

それまで大抵のことはホイホイ出来たから、頑張っても上手くいかないことがあるんだと思い知りました。

その後は、女子20人に対して男子1人で混じって、琴や三味線を演奏する邦楽部へ入部。全国大会にも2回出場した。

今まで勝負の世界にいたのが、音楽の世界へ進み、勝ち負けでなく個々の持ち味や音色があり、それぞれ貴重で美しい。という価値観の変化を感じる。

 

浪人 人生の転機2

もともとのんびり屋で、夏休みの宿題を最後の3日とかでやるタイプの僕は、1度目の受験で当たり前のように全滅します。目標だけは高く、偉そうに設定して中途半端な勉強しかしてませんでした。

浪人生になっても、しばらくはなんとなく勉強するだけで成績も横ばい。

そんな時に知人の紹介で個人塾に入りました。そこは今でも珍しい、授業をしない塾

とにかく自学自習。勉強法やわからない問題があれば常駐している塾長に質問・相談できる環境でした。要はコンサル。それがすごく自分のスタイルに合っていて、自己責任でやりたいだけ勉強することができました。

結果、私立もセンター利用で無双。そして第一志望の国際教養大学も2月の時点で合格が決まりました。

いつでも頼れる人がそばにいて、自分で試行錯誤して勉強するのが一番いいなと。勉強哲学みたいなものを持ちました。

 

国際教養大学へ進学



秋田市伝統のお祭り「竿燈(かんとう)まつり」での演技

2007年当時、国際教養大学は開学4年目で卒業生もいない状態。

ほとんどすべての授業を英語で行い1年間の留学必須そして公立大学で学費が安いということが面白そうだったのと、知る人ぞ知る感が気に入って単身秋田県へ北上。

香川県民としては初の入学。英語の先生でも存在を知らないところに行くということで、心配されましたが別に気にしてませんでした。僕は海外行く気で進学してるのに、「そんな遠いところ行かなくとも近場で進学すれば」とかいう意味不明な人いるんですよねー。

入学してみたら、入学式に始まり、クラス分けのテストから何から何まで全部英語で、えらいとこ来てしまった感。受験英語でなんとか入学した僕には、帰国子女とかハーフの子たちに混じって当たり前にように英語で生活するのがとってもハードル高かった。

それにもかかわらず勉強もそこそに、軟式野球部や、ゴスペルクワイアー、竿燈(かんとう)祭りに熱中し、ほとんどの時間をそれに費やしてました。

でも、色々やりすぎて自分のキャパを超え、何もかも嫌になって授業も平気で寝過ごすし、勉強もしない。なんかずっと体調悪いって時期がありました。生まれて初めてスクールカウンセラーのお世話になって、週一回のセッションを設けてもらってました。

何でもかんでも首突っ込んで、頼みごとも良い顔して引き受けたりしてたんですよねー。能力の限界を知る。

 

まぁ苦労はしたけど、なんとか英語力もついて授業にもついていけるようになりました。

そうすると、ちょっと気づきがありました。別に僕は優秀な学生ではなかったけど、英語力がついて思ったことが言えるようになってくると、英語がバリバリ標準装備だった奴らの言ってることが案外浅いことに気がつき始めました。

英語って本当にコミュニケーションツールで、「何を考え、何を伝えるか」の方にこそ価値があるんだということを実感しました。

もう大学生活も3年半になろうという頃、同級生よりも1〜2年遅れでやっとのことTOEFLの基準をクリアします。そして、2011年1月からノルウェー経済経営大学での1年間の交換留学を経験しました。何気にここで初海外でした。ヨーロッパ各国を巡る旅にも出かけました。お気に入りはアイスランド!

単位もほとんど取り終わっていたこともあり、ノルウェーでは結構のんびりしてました。勉強も最低限(←ほんと勉強してねーなw)に、旅行に行ったり、うどん作ったり、山を登ったり。ニコニコ動画にハマったのもこの頃。既存のソフトにオリジナリティーを付加して発信するゲーム実況が面白くて、いろんな人の動画を観まくっていました。

一方で留学始まってすぐの3月に東北大震災が発生。インターネット動画で再生される悪夢の惨劇を目にしました。学生で何もできない自分を引け目に思った僕は、早く仕事就いて社会に貢献しなければとの念を抱き、留学もまだ半分なのに夏休みを利用して緊急帰国。1ヶ月間東京にアパートを借りて、就職活動。5社の内定を頂き、来春の入社を約束してノルウェーへ舞い戻る。

 

留学を12月に終え、そのまま卒業、就職。

 

 

社会人、歩き遍路、ワーホリを経て、今。 <人生の転機3・4・5!!>

アパレル店長から適応障害へ

卒業後の2012年、某大手アパレル企業に入社します。

最速の半年で店長となり、のちのブランド異動でも店長を歴任。

商売の基礎を学びました。

入社時こそ注目を浴びて、入社式で挨拶をさせてもらったり、会社のHPに乗せてもらった経験もありますが何につけてもうまくいかず心折れました。

頭ではわかってるのに、なんでこんな簡単なことができないんだろうと、どんどん自信を失って行きました。そしてそのせいで人に迷惑をかけている自分が嫌いになる。もうとにかく嫌で仕方なかった。

あー自分仕事できねーダメなやつだーって。毎日思ってました。

毎日体調悪くて、這うようにして店舗に行ってたなぁ。

でも、協力してくれる頼りになる仲間、スタッフがいたことは唯一の救いでした。それだけが心の支えだった。

 

2015年6月、適応障害と診断を受け休職。

その頃には入社して25キロも体重が増えていました。店長になってからというもの、お腹が空いていないのに食べ物を無心で放り込んでは夜中や明け方に吐く。何も入ってなくても胃液を吐く、という状態でした。やばすぎ

朝起きられなくなったり、胃痛や頭痛がしたり、無意識に食べまくってる時点でもっと早く気付くべきだったんですよね。

 

歩き遍路に出かける

休職の手続きができて、そのまま導かれるように四国八十八ヶ所巡礼(歩き遍路)へ向かいました。

お金と時間、両方ないとなかなかできませんからねー。

行程は40日間、1200km。割と小さい頃からお遍路さんの姿を見て来たので、いつか行ってみたいと思っていました。でもこんなボロボロになってから行くことになるとは全く思ってなかったですが。でもそういう人、多いです。

もう死んでもいいや、って気持ちだったのでただただ歩くだけあーここから一歩踏み出したら人生終われるなーとか考えてました。実際、お遍路に出かければ、人と関わらなくて済むし、歩いてるだけで気楽だろうなぁって考えていました。

でも実際、たくさんの人の人生に出会い、また旅の途中で出会ったアメリカ人のお遍路さんの通訳をしたことで、その人自身や地元でお遍路に携わってる人たちからお礼を言ってもらえて嬉しかったんですよねー。自分の存在価値を感じられたというか、取り戻した、そんな感じでした。

毎日どこのお寺に行って、どこまで歩くか決めて、ただひたすらに歩き続けるのは僕にとって新たな気づきを与えてくれました。生き急ぐ必要もない、誰かと比べる必要もない、ただ一歩づつ自分のペースで歩みを進めていけば目的地に到着する。人生ってそんな風でも別にいいじゃないか、そう思いました。

そこで退職の意を持って、四国を一周して戻って来ました。

だから僕はもう、きついなーと思ったらやらないことにしました。いいです、それで生きていけます。

 

アパレル退職。家庭教師始めたら勉強したくなった

お遍路から帰って来て退職の手続きをして、家庭教師を始めました。受験への追い込み時期ということもあり、どんどん生徒さんを紹介してもらえたのはとてもありがたかったです。

ご家庭含め生徒の頑張りもあって結果が出ましたし、勉強合宿なる追い込みの講習にも講師として呼んでいただき、この業界では必要とされたり頼られる存在になれるんだなぁと嬉しかったです。

中学全5教科、高校英語・現代文・小論文を中心に中高生対象の家庭教師・個別指導講師をしていたのですが、自分の英語を教える力をもっと磨きたいという思いが湧き上がって来ました。40、50歳になった時に自分が家庭教師を続けていることが想像できなかったというのもありますが。

オーストラリアにワーキングホリデーに行って、そこから大学院に行こうと計画します。

 

ワーキングホリデー(@オーストラリア)


グレートバリアリーフでウミガメと遭遇

オーストラリアに知人がいて、そこに当面住まわせてもらえるってことになったのでお金だけある程度貯めてサクッと向かいました。

英語教授法を研究したいという思いもありましたし、オーストラリアでゆっくりしたいという気持ちもありました。結果どっちもできて大満足な1年だったんですよ。

ブリスベンにあるクイーンズランド州立大学の大学院で英語教授法の研究ができたらいいなと思ってたんですけど、担当の教授と話す機会があって、どうやらちょっと内容が思っていたのと違っていました。HPの情報だけではわからないものですねー。

で、それで進学してもお金と時間がものすごく勿体無いと思ったので、他を探していると、同大学の言語教育センターに求めていたコースがあったのでそちらを10週間の集中プログラムで受講しました。それがTESOL(英語教授法)

そして大学院は以前お世話になった教授方の推薦もあり、母校の国際教養大学にしようと決めました。

それ以外の期間はというと、IELTSという英語の試験の勉強や、ホームステイ先の知人の子供たちの面倒を見たり、クラウドワークスやココナラなどのオンラインワークサービスを利用して小遣い稼ぎしてました。

車を借りて旅に出かけて、エアーズロックや恐竜博物館にも行きました。とにかく1年間が楽しくて、快適でしかたがなかった。

旅の途中でケアンズに寄って、ダイビング認定をとりました。その時に、ちょうどよくダイブマスターのインターンシップを紹介してもらい、応募したら採用してもらえることになりました。ラッキー。レスキューダイバーを経て、ダイブマスターまでなることができました。これでなんか困ったらオーストラリアでダイビングの仕事できるわーと、ひと安心(笑)

もっともっとオーストラリアにいたかったんですが、ビザも切れてしまうのでやむなく帰国。

 

現在は大阪に一時的に住んでいて、アルバイトをしながらブログを書いてます。

 

さいごに

 

この一年で、本当に生き方が変わりました。なんか色々どうでもよくなったんですよねー。こうじゃなきゃいけないなんてものはほとんどないと思います。生き方や、考え方なんて人それぞれで、他人がお節介しなくたっていいじゃないか。

多様な人に出会って、生活に入り込んで、時間や経験などたくさんのものをシェアしました。自分のことを大好きでぎゅっと抱きしめてくれる友達や同僚、クラスメイトがたくさんいて、本当に自分というものを大切にできるようになったんですよね。

自分のことを大切にできるからこそ、他人の自分を大切にする気持ちを尊重できる。と思うんですよね。これまで、他人に気を遣って自分を犠牲にしてたんだなって気がつきました。

 

サラリーマンなんて一生やらない、過剰なストレスをかけない生き方をしたいと決めたので、自分を売りに出しました。

取っ替えのきく社会の歯車に組み込まれるつもりはありませんし、変化のない毎日に溶け込むつもりもありません。

だから、自分にしかないものをブログやYoutube を通して価値あるものにしていきます。

僕に興味を持ってくれた人、僕を応援してくれる人、僕と何か一緒にやりたい人はぜひこれからも見守ってくださいヽ(´ー`)ノ

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!これからのMUZをよろしくお願いします!

 

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